2017年10月29日日曜日

10月29日(日)午後1時30分より 遠藤由美子講演(会津史学会)

■2017年10月29日(日)午後1時30分より、会津若松市内の福島県立博物館講堂で、会津史学会主催の歴史文化講演会が開催され、奥会津書房の遠藤由美子さんが講演されます。入場無料、予約不要、どなたでも聴講できます。
 「平成の風土記 ~奥会津書房のたちあげとその後~」

2017年10月15日日曜日

10月28日(土)例会開催  ※終了しました

各位

会津学研究会を下記のとおり開催いたします。
是非ご参加ください。

会津学研究会のお知らせ

10月28日(土)13:30~16:00
場所:会津坂下町 八幡コミュニティセンター(旧八幡小学校・ふくしま本の森向かい)
内容:第1部 沼沢暮らし(予定) 阪下昭二郎さん
    第2部 タデアイ栽培と泥藍 菅家 洋子さん

降雪前の最後の勉強会になるかと思います。
是非ご参加ください。

(事務局 奥会津書房 遠藤由美子さん)


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■10月28日(土)午後1時30分より4時、会津学研究会例会(10名)。阪下昭二郎さん(沼沢)、菅家洋子さんに報告をお願いした。また100号となった『奥会津だより』の2頁めの取材を継続している菅敬浩さんにもお話しをお願いした。八幡コミセンを退出し、午後5時まで、ほんの森にて懇談し、解散。
  → すがさん
 








2017年4月29日土曜日

次回例会予定(案) 6月4日です。内容調整中

                                  会津学研究会

          次回例会(春季最終) 2017年6月4日(日)13時30分

場所:会津坂下町塔寺 ふくしま本の森、前、やはたコミュニティセンター(終了)

内容1:武藤弘毅氏「訪問した国外の建築様式と日本」
        40分

内容2:須田雅子さん「苧麻をめぐる物語 奥会津昭和村と宮古・八重山の暮らしと文化」        40分    (ちょま・からむし) 須田さんは昭和村大芦在住(埼玉県出身)



どなたでもご参加ください。お待ちいたしております。
会津学研究会 問合せ:0241-52-3580 三島町宮下 奥会津書房(遠藤由美子)
https://www.facebook.com/yumiko.endo.372

会津学研究会  http://aizugaku.blogspot.jp/       菅家博昭090-2272-2780
                                         kaken@cocoa.ocn.ne.jp
『会津学』の発刊と研究会発足
『東北学』に代表される地域に学ぶ作業を提唱している赤坂憲雄さんが2003年4月に会津若松市の福島県立博物館長に着任されました。奥会津書房では、2004年4月に昭和村で懇談会を開き、その後、地域の人々が20名集まり、同年10月に三島町ふるさと荘で会津学研究会は発足しました。10年間の活動を予定しています。 地域の人びとから聞き書きによる方法で教えていただいたことを語り手の許しを得て編集・出版しています。2005年8月に『会津学』創刊号を出版。以後、毎年夏のお盆(8月15日)に年1冊刊行を目標として地域の人々の暮らしに学ぶ地域誌です。その最新号は2010年11月に6号を発刊しましたが、第7号の編集は2011年3月11日の震災で中断しました。ようやく2015年3月15日に最終巻として第7号を発刊しました。聞き書きを方法として会津地方の人びとの暮らしや生き方を学んでいます。
 このウェブページの編集は菅家博昭が担当しています(2007年5月1日設置、5月7日改訂)。
--------------終了した例会-------------------
4月の会津学研究会は4月16日(日)13:30からです!       20名
場所:会津坂下町 八幡コミュニティセンター(ふくしま本の森向かい)
時間:13:30~15:30
内容:第1部「台湾苧麻の視察報告」菅家博昭・菅家洋子氏
  :第2部「懐かしさの源流を求めて~中国/貴州」武藤弘毅氏

<馬 芬妹(ま ふんまい)さん来日報告会のご案内>               本日
 日時:4月30日(日)13:30から
 場所:会津坂下町八幡コミュニティセンター
馬さんは、菅家夫妻の台湾での苧麻研修をサポートしてくださった藍染研究家で、国立台湾手工芸研究所の専任教授を経て、現在は台湾国内に藍染の技術を定着させる活動を行っている。4月末から日本各地で研修される合間を縫って講義の時間をとってくださった。



夏季は農繁期のため、例会は秋から再開予定です(11月ころ)。

2017年4月19日水曜日

4月30日の例会、台湾の藍染研究会 馬芬妹さん。

会津学研究会・臨時例会のお知らせです。
<台湾の藍染研究家・作家の馬芬妹(まふんまい)さん来日講演>
日時: 4月30日(日)13:30~15:30
場所:会津坂下町 八幡コミュニティセンター
テーマ:第1部「台湾の藍染」馬 芬妹
第2部「台湾に学ぶ苧麻(からむし)の生活文化」馬 芬妹・菅家博昭(会津学研究会代表)・菅家洋子 
※予約不要・参加費無料です。
 馬さんは、会津学研究会代表の菅家夫妻の台湾での苧麻(からむし)研修をサポートしてくださった藍染研究家で、国立台湾手工芸研究所の専任教授を経て、現在は台湾国内に藍染の技術を定着させる活動を行っておられます。4月末から日本各地で研修される合間を縫って講義の時間をとってくださいました。台湾の藍染めのみならず、台湾各地で技術を継承させる取り組みの現状などをお聞きします。
 第2部では、前回の苧麻(からむし)研修報告をさらに深めるトークが予定されています。是非お出かけください。
 問い合わせは奥会津書房(0241‐52‐3580)まで。

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 → 遠藤由美子さんのFB

 
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 福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字北原787番地→ 会場の やはたコミュニティセンター。同所は事務員が不在のため電話連絡はつきません。立木観音の隣りです。
  



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■植物繊維からむしは英語ではラミーと訳されることが多い。また文献では青苧(あおそ)、あるいは青麻(あおそ)とも表記される。中国表記の苧麻(ちょま)は、日本では明治時代になって繊維が輸入されるようになってから表記されはじめ、ヲ(wo を)という植物繊維を総称する呼称に日本等では「苧(を、からむし)」の字を当てたことから、文献上は「苧(を)」という文字がかなり頻出するが、それにはからむしだけではなくアサも含まれ、他の植物繊維も含まれる。そのため植物種を文献から同定する場合には細心の注意が必要。麻苧(あさを)という言葉も多く出てくる。これは植物繊維の原料束の商品となったものを意味し、素材を特定する場合には用心する。からむしの場合もあり、しかし多くはアサに比定されている。「苧」という漢字を使わずに「を」という表記が正しいと考える。を・うみ(を・績み)は、植物繊維束から繊維を裂き、細くつなぐ行為を言う。徳島県木頭の太布(カジ・コウゾの樹皮原料)でも「を・うみ」と言い、アサでもからむしでも同じように「を・うみ」という。これを「苧績み」と表記すると、後代に「苧」はからむしの意味で、からむしを績む行為と誤った理解となる。

 「を(コウゾ)績み」「を(アサ)績み」「を(からむし)績み」と表記すべき。

 同じことに5月下旬に行われる「からむし・焼き」がある。成長したからむしを焼いて芽を揃える行為と施肥、防虫等の意味があるが、「はたやき(畑焼き)」などと焼畑優先思想からの表現が最近は多く多くみられる。誤った用法・表記となっている。これは「からむしやき」とよんでいた。

 また夏に行われる「を(アサ)ひき」は、アサの行為で、からむしの場合は「からむしひき」と表現してきた。それが「苧引き」と漢字表現されるなかで、「苧」を「を」と呼び「をひき」と誤った表現としている。この場合は「苧(からむし)引き」と表記しなければならない。古老はすべて「からむしひき」と呼んでいた。

 一方、「をひき」「からむしひき」で使用される「を・ひき・ばん」は、近世の金山谷野尻組(現昭和村)では、「を(アサ)」をひく舟状の木製盤を、近世後期に導入された新しい植物からむしをその道具で共用使用したことから、「を(からむし)引き盤」と呼称する。この場合のみ、からむしひき盤と呼称されることは無い。
 しかし、現代に残る「をひき盤」を見ると、差異があり、古老に話しを聞くと、「をひき盤」でもアサ専用に挽いた盤は細長く、長いアサ繊維を挽くのに特化した形状になっているものもある。からむしをひく「をひき盤」は定尺(オヤソ・カゲソ・コドモソ(わたくしそ))なので短い寸法になっている、という。

 台湾島での苧麻(からむし)の呼び名は「ツーマ」である。沖縄の苧麻の一般呼称の「ブー」は「ウー(をー)」につながるもの。
 しかし、台湾島の先住民族(台湾では原住民族と表記)の場合はそれぞれに呼称が異なる。
 2017年3月の訪問調査では、タイヤル族は「ガリー」、ブヌン(布農)族は「リブ」と呼ぶ、という。

 日本国内では、2017年4月の現地調査で徳島県那賀町木頭地区では、からむしを「ヒュウジ」と呼び、2017年1月の宮崎県高千穂町の調査では、からむしを「かっぽんたん」「ぽんぽんくさ」と呼んでる。ただし宮崎県の蒐集した民俗資料には「ラミー鎌」というカマがあり、明治以降にラミー(からむし)が栽培された形跡がみられる。戦前の日本政府の苧麻研究の試験場が宮崎県内と台湾島にあった名残と思われた。

 日本列島内(琉球諸島を含む)での、からむし呼称については、本当に詳細に行われていないので、土地の言葉をあらためて聞き、作業工程、道具類についても土地の呼び名での採録が必要になっている。それが文化伝播によるものか、後に参考となることが予見される。

 
 2017年3月14日菅家博昭撮影。台湾島のタイヤル族の栽培しているからむし(ガリー)。葉裏は白い。赤芯種。桃園市復興区。碧織屋(王碧珠さん)工房の畑。 
 からむしの解説は、台湾、桃園市の遊玩生活文化創意有限公司の孫業琪Daki Ratukさんによる。
 

茎からの分枝のわきめ(液胞)が品種分類には重要。


 からむしの根。植えつけ用。


 



2017年4月18日火曜日

4/30の内容の変更 対談も行うことになりました

4月30日(日)午後1時30分、会津坂下町塔寺 立木観音北隣接のやはたコミセンにて会津学研究会例会(ふくしま本の森隣接)。
 馬芬妹(ま・ふんまい)さんによる台湾藍の取り組み(仮題)、菅家博昭・洋子との対談(台湾のからむし(苧麻)に学ぶこと(仮題))。公開講座・無料でどなたでも参加できます。事前申込不要ですが、主催事務局は奥会津書房0241-52-3580 遠藤由美子さん。

 
  → 今後、内容の詳細は遠藤由美子さんのFBで 



2017年4月17日月曜日

4/30(日)台湾藍について 例会開催(坂下八幡コミセン)

■ 4月16日(日)午後1時30分より4時、会津坂下(ばんげ)町塔寺 ふくしま・ほんの森の隣接の八幡(やはた)コミュニティセンターで、会津学研究会の例会が開催されました。約20名の参加者がありました。報告いただいたのは

 第1部「台湾苧麻の視察報告」菅家洋子さん
 第2部「懐かしさの源流を求めて~中国/貴州」武藤弘毅さん(会津若松市、三島町内に勤務)

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会津学研究会は20名の参加者。興味深い報告に時間を忘れた。
第1部「台湾苧麻の視察報告」は、長年苧麻の調査・研究を続けてきた菅家博昭氏から、江戸期に発生した経済性を重視した産業は、収益が上がらなければ切り捨てられてきたが、中世など古い時代に興ったものは残ってきたという示唆に富んだ視座から、からむしの将来的なあり方への問いかけが提示された。
 夫君である菅家氏と共に、台湾各地で栽培から織りまでの現状をつぶさに目にした菅家洋子さんは、技術者の立場から、文化の伝承の意味をしなやかな感性で体感したルポを発表。限定的な制約からは見えなかった、からむしの健全で自由な可能性を示唆した。菅家氏の研究によって、これまで昭和村のからむし栽培に冠されてきた「600年の伝統」という歴史認識はすでに覆されている。からむしルネッサンスの胎動を感じる報告だった。
「第2部の「懐かしさの源流を求めて~中国・貴州」は、建築に従事する武藤弘毅氏から、歴史、民俗、地理を総合的に俯瞰して建築技術の比較を試みようと、アジアをフィールドとして放浪した壮大な検証が語られた。とりわけ、中国の貴州にその源流を見たとして、次回は詳細な報告がされる予定。(遠藤由美子さんのFBより)


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 次回は4月30日(日)午後1時30分から3時、<馬 芬妹(ま ふんまい)さん来日報告会のご案内>
 場所:会津坂下町八幡コミュニティセンター
 馬さんは、台湾での苧麻研修をサポートしてくださった藍染研究家で、国立台湾手工芸研究所の専任教授を経て、現在は台湾国内に藍染の技術を定着させる活動を行っている。4月末から日本各地で研修される合間を縫って講義の時間をとってくださった。(事務局 奥会津書房遠藤さん)※参加無料です。どなたでもご参加お待ちしています。
問合せ:奥会津書房 0241-52-3580

 






2017年4月7日金曜日

2017年4月16日(日)例会開催

■会津学研究会例会:4月16日(日)13:30~15:30
場所:会津坂下町八幡コミュニティセンター(ふくしま本の森向かい)
内容:菅家洋子・博昭「台湾苧麻の視察報告 等(場合により中国建築調査報告も)」
調整がつけば中国の古い建築様式を視察してこられた武藤弘毅氏の報告も可能になります。

2016年12月23日金曜日

2017-01-07 昭和村公民館・昭和学講座「会津物語」終了

■2017年1月7日(土)午後2時より。福島県大沼郡昭和村下中津川 昭和村公民館2階研修室で、「昭和学講座」が開催され、菅家博昭が講話します。

 『会津物語』について、です。どなたでも参加できます。

 終了しました。


 
      昭和学講座 2017年1月7日(土)14時 昭和村公民館
「会津物語・昭和物語
~キツネ(狐)やテング(天狗)やホウインサマ(法印様)の話~ 」
                                                      昭和村大岐1723 菅家博昭
                                     
0.野尻中向 小林政一さんの「聞き書き」 
  発話(原本)そのものを記載して、すぐれている。

1.会津学研究会(2004年10月発足、2015年3月雑誌『会津学7号』、2015年8月『会津物語』(朝日新聞出版))
 『東北学』に代表される地域に学ぶ作業を提唱している赤坂憲雄さんが2003年4月に会津若松市の福島県立博物館長に着任されました。三島町の奥会津書房では、2004年4月に昭和村公民館で懇談会を開き、その後、地域の人々が20名集まり、同年10月に三島町ふるさと荘で会津学研究会は発足しました(当時は、10年間の活動を予定)。
  地域の人びとから聞き書きによる方法で教えていただいたことを語り手の許しを得て編集・出版しています。2005年8月に『会津学』創刊号を出版。以後、毎年8月に1冊ずつ6冊を刊行。第7号の編集は2011年3月11日の震災で中断。ようやく2015年3月15日に最終巻として第7号を発刊しました。
 聞き書きを方法として会津地方の人びとの暮らしや生き方を学んでいます。
2.後藤総一郎監修・遠野常民大学・編『注釈 遠野物語』(筑摩書房、1997年)

3.朝日新聞福島県版の木曜日「会津物語」の102回の連載
                      (2011-08-19から2014-7-4)
(1)赤坂憲雄さんの構想
 不思議なことを実際に体験した人から、話を集める。
 不思議な体験した人が語った話を直接聞いた人から話を集める。
(2)実名、生年を記載する
(3)2015年8月30日 『会津物語』の出版  朝日新聞出版 100話
(4)2015年9月27日 「発刊の会」(三島町名入山びこ 発話者14名)
(5)2016年4月10日 会津学研究会例会で発話者飯塚保氏に聞く会

4.聞き書き(ひろく聞く) → まとめる(編集) → 表現
(1)方言(土地の言葉・表現)を残す
(2)地名を残す
(3)社会背景を調べて残す
 

2016年11月26日土曜日

12/10(土)午後1時30分から 会津坂下塔寺ふくしま本の森にて 例会

■会津学研究会例会を開催します。11月16日~21日の台湾訪問、からむし(苧麻)と輪状式機織り機等について、菅家博昭が報告します。
 




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              会津学研究会 例会
        (2016-12-10土13:30 坂下 ふくしま本の森)

1.『奥会津の木地師』(民族文化映像研究所制作、1976年)、姫田忠義(1928 - 2013年)らが田島町(南会津町)針生で撮影。昭和村で『からむしと麻』(1988年)。

2.木地屋(木地挽(ひき))

3.『永源寺町史 通史編』(滋賀県東近江市、全1328頁。2006年) 第七節 蛭谷・君ヶ畑の木地師支配 生嶋輝美記述(583-658頁)。

『永源寺町史 木地師編 上巻・下巻』(2001年)
上「蛭谷氏子駈帳 全1142頁」。下「君ヶ畑氏子狩帳、その他文書・解説 全548頁」。

4.杉本壽『木地師支配制度の研究』(ミネルヴァ書房復刊2008年、1972年刊)959頁、18000円。

5.橋本鉄男『ろくろ』(ものと人間の文化史31 法政大学出版局1979年)1981年3月。 260頁、小椋姓は蛭谷で1740年(元文5)、君ヶ畑で1745年(延享2)。 263頁に映画「奥会津の木地師」。309頁に200枚も椀を挽くと轆轤を回転させる麻紐は切れるから、大量の麻糸が必要だった。

6.田畑久夫『木地屋集落 系譜と変遷』(古今書院、2002年)

7.金井晃『木地語り 会津田島のとびの足跡 企画展報告書』(福島県田島町教委、2001年)。金井氏は『只見町史 民俗編』などの木地集落も執筆。

金井晃「講演記録 会津の木地師文化 会津漆器を支えた人々」『歴史春秋 第84号』(会津史学会編、2016年11月刊)

8.馬場勇伍『木地師の跡を尋ねて』(昭和村教委、2002年)
 村内12カ所の木地集落の墓碑調査。

                                                            菅家博昭まとめ

2016年11月8日火曜日

加藤清之助 2016-11-8追記あり

■台北の南洋協会台湾支部から1922年(大正11年)に出版された『苧麻』を書いた加藤清之助のことを調べている。

■2016年5月18日 追記※
 
■ 繊維を採取する植物カラムシ。和的にはその繊維を青苧(あおそ)、あるいは青麻(あおそ)と表記することが近世までは多かった。近世の大沼郡野尻組(現在の昭和村)の書面をみると「からむし畑」「青苧」という表記が確認できる。しかし近代となり明治時代には中国本土、台湾、朝鮮半島からのからむし(ラミー)が輸入され、「苧麻(ちょま)」という表記がなされる。

 暖かい国の草であるカラムシは、中国大陸が現在も主産地で、その栽培品種数は1000を超えている。商品表示で麻と表記できるのは、このカラムシのみである。ほとんどが中国産。台湾もからむし生産地域で、第2次対戦前、日本政府の植民地下でも調査、利用がなされた。その中心となったのが南洋協会台湾支部である。

 戦前、野尻中向の人がラミー(海外種の苧麻)の根を昭和村に導入した経過がある。また明治期にロシアに渡りからむし栽培をして帰国した人も大芦の赤田墓地近くにラミー(海外種)を植えており、この品種は、現存している。
 カラムシ類は花粉による交雑が多く、こうした移入種による交雑も起こっている可能性があるが、特に明治期は積極的に海外種を政府農務機関が導入した経過がある。
 明治期に大芦村長を勤めた五十嵐伊之重も広く国内外のからむし品種に興味を持ち、大芦産のからむし根と交換をしていることが、静岡県側に残された記録から明らかになっている(福島住一)。

 日清戦争後、台湾統治をした日本政府は、特に苧麻の栽培・移入に力を入れている。



■ 私が、この最近の17年間、調査を続けている人物に加藤清之助がいる。大正年間に書籍を台湾で刊行しているが、肩書を含め人物像が不明であった。当時の大芦(現在の大沼郡昭和村)のカラムシ栽培についても言及している。

 からむし(青苧)の研究者で、著作『苧麻』は大正11年に南洋協会台湾支部から出版しており名著であり、古書として購入し所有もしているが、その調査をはじめてからも、なかなか人物像がつかめない。

 この春、鹿児島生まれの田代安定の関連資料が台湾の大学で公開されていることをしり、同時代人の加藤清之助との書簡等があるかどうか、興味を持って公開されているデジタルデータを閲覧していた。→台湾大学田代安定文庫


 また加藤清之助の著作の2冊の巻頭言で謝辞を述べている人名についても、調査をしている。そうしたなかで、5月になり、いくつかの糸口が見えてきた。

 ひとつは『台湾農会報』の1942年(昭和17年)と翌年の雑誌に連載をしていること。そしてその雑誌の巻末には「執筆者紹介」が掲載されていることを発見した。現物は国立国会図書館蔵のため、閲覧する必要性があった。

 月刊誌『フローリスト』『地上』等に連載記事を持っている千葉県在住の松山誠さんが国会図書館へよく行っており、花の市場や花の装飾に関する歴史、雑誌の調査をなさっていたことを思い出し、松山さんに『台湾農会報』の調査協力をお願いしていた。
 昨日(2016年6月17日、午後4時13分、その松山誠さんから電子メールが届いた。次いで6時17分にも調査したことについて情報があった。

■ 『台湾農会報』の昭和17年7月号(4巻7号)の「芭蕉科植物の繊維に就いて(上)」の加藤清之助は、「大日本製糖 北港製糖所」という肩書きであった。

 また18年5月号(5巻5号)では、「大日本製糖 苗栗製糖所長」が加藤清之助その人であった。

  著者の情報として、当時の勤務先がわかれば、あとはなんとかなります。


■ 未明より調べてみると、同姓同名の人が同時代に数名いるので、注意が必要であるが、

 加藤清之助は、昭和9年に南大東島の製糖会社の農務係長として「加藤さんは神様」と言われていた、ということが出典(原典)を確認していないが、

 駒澤大学の『駒澤社会学研究』1988年3月の、長谷部八朗「離島村落の変貌過程とその課題   沖縄・南大東島の場合」の182ページにある。




 

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■ 2016年11月6日、8日、追記
 
台湾在住の馬さんの調査・教示により、詳しい情報がわかってきています。 

なお、『苧麻』を執筆した加藤清之助についても調査いただいて、本籍地が山形県であることがはじめて明らかになりました。台湾史研究所の台湾総督府農業試験所職員録で、
 大正7年(1918)、8年は農事試験場種芸部の技師
 大正9年(1920)は農事試験場嘉義支場の技師。
 昭和19年(1944)は新竹州 州會議員。






  

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 加藤清之助著『苧麻』(大正11年12月刊、定価2円送料共、台湾総督府 南洋協会) 
   


   
   




   

  『苧麻』例言で謝意を述べている2名について
  職員録ウェブで写真閲覧してみると(ウェブ検索では東郷實はヒットしない)。
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  東郷實、田中秀雄は、台湾の台湾総督府、農事試験場の職員。
  東郷實は鹿児島県出身の農事試験場技師を経て、台湾総督府の調査課長(大正11年)。後に政治家。東郷実。
  田中秀雄(※1)は同僚で、熊本出身。農事試験場技手。種芸部。
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 加藤清之助は台湾の農事試験場に勤務し、『苧麻』の著作を書き上げたことを想像できる。職員録でウェブ検索では大正7年から9年までの職員(技手)であり、山形県が本籍地であることがわかった。ただウェブ検索ではヒットしない例(東郷實)もあることから、ウェブの職員録の写真閲覧を行い、精査する必要がある。
 台湾から、製糖会社に勤務し、昭和9年には沖縄県南大東島、そして台湾に戻り、大日本製糖の工場勤務、苗栗工場長を経て、この工場がある新竹州の州會議員(昭和19年)、、、というところまでわかった。
 『苧麻』を読み返してみると、台湾との日本内地の比較事例は「山形県」が多く、山形県生まれで、ある程度、そこでの苧麻との関連があったことが推察される。米沢苧(そ)、最上苧の青苧(からむし)産地を持つ山形県。会津はその南隣りの産地である。
 近世は青苧(あおそ、からむし)と表記することが多いが、明治期は中国大陸からの輸入が増え、中国の読みの「苧麻(ちょま)」という表現が出現していく。
 苧麻の本場の中国大陸を知る植物学者・農学者は、日本国内、特に南西諸島(沖縄等)や台湾統治後は台湾へも「苧麻」作付け・産業化を田代安定などが推進している。
 戦前、日本産からむし(苧麻)品種は、宮崎県の農業試験場に集められ試験研究が進められた。


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 田中秀雄,熊本県人。1890 年1 月2 日出生,1908 年3 月熊本縣立球磨農業學校卒業,. 1908 年10 月私立肥料分析技術員養成所結業,1911 年 4 月 6 日臨時台灣糖務局附屬糖業試驗場雇,10 月 16 日殖產局附屬糖業試驗場雇,1912 年 9 月 24 日依願免職,1913 年 11 月 4 日台北廳農會水返脚支會技手,1916 年 1 月 10 日台北廳水返脚支廳雇,5 月 18 日台北廳士林支廳雇,1917 年 4 月 10 日台北廳庶務課雇,12 月 8 日台北廳庶務課技手,1918 年 9 月 13 日農事試驗場種藝部技手,1921 年 10 月 5 日殖產局農務課技手,1924 年 12 月 25 日殖產局特產課技手,1933 年 9 月 28 日依願免職,1933 年 10 月 3 日殖產局囑託,負責擴大青果銷路相關事務。參閱〈田中秀雄囑託﹑手當﹑勤務〉,《臺灣總督府公文類纂》第 10239 冊第 6 號,昭和八年,永久進退。(莊惠惇、許進發「日本殖民政府技術官僚認知的咖啡及其世界市場」25ページ pdf)