2012年4月3日火曜日

地域に残された記録


■最近、会津藩の梁田家御用公用日記を読んで、大沼郡(南山御蔵入領)での芝居への見物禁止のことを読み、思い出した会津高田の文献を探した。25年前に読んだものでも、思い出せるものなのだと思った。
昭和62年(1987)10月25日発行、週刊朝日百科 日本の歴史80(通巻608号) 近世Ⅱ3 祭りと休み日・若者組と隠居
「若者たちの秩序 村芝居と若者組」国立公文書館員 氏家幹人
会津藩領の大沼郡高田村(現・会津美里町)の田中重好は、天保5年(1834)から万延元年(1860)にかけて暦の余白に極小のカタカナで、日記を書き続けた。
天野家所蔵・田中文庫史料
■17世紀から村に様々な神様が勧請されるが、それは村の新たな休み日(祭礼)を生み出していく、という視点。村休み日は村(集落)の春の総会で決められる。


■2009年3月に発刊された『和光大学現代人間学紀要 第2号』に研究ノート「『継声館日記』にみる近世在郷町の識字状況」を大田素子が書いている。会津高田の田中家の史料のうち、田中慶名の文化11年起の日記の分析である。田中重好、田中種富、田中重好らの記録の経緯も紹介している。→PDFファイル


■会津高田郷土史研究会が設立40周年の記念出版の2010年3月に発刊した『櫻農栞 市之巻・駅之巻』も田中文庫「高田郷頭田中家文庫」からのものです。
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