2014年6月10日火曜日

古文書教室(三島町在住 海老名俊雄先生) 6月21日、7月19日、8月23日、9月20日。土曜10時より。三島町名入 山びこ

交流センター「山びこ」において全4回の古文書教室が開催されます。
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途中からの参加も可能です。参加は無料(申込)です。
本教室では、江戸時代に書かれた文化三年(1806)『大谷組地志書上帳』、元禄八年(1695)『陸奥国大沼郡大谷組桑原村五人組帳』などを、会津史学会顧問・海老名俊雄氏のわかりやすい解説と共に、少しずつ読み進めていきます。
(※大谷組・・・大谷、浅岐、間方、桑原、宮下、川井、大登、小野川原の各村が含まれます)

第一回 平成26年6月21日(土) 10:00~12:00
第二回 平成26年7月19日(土) 10:00~12:00
第三回 平成26年8月23日(土) 10:00~12:00
第四回 平成26年9月20日(土) 10:00~12:00

◇講師 海老名俊雄(会津史学会顧問)
略歴 1931年、神奈川県川崎市に生まれる。1945年4月川崎大空襲で罹災、会津(現大沼郡三島町)に移住。1949年11月~89年3月まで公立中学校の教員を務める。会津史学会顧問。研究論考を同会編『歴史春秋』に数多く発表。著書に『会津御蔵入騒動と寛延一揆』、共著に『柳津町誌』、『発電所のレッドパージ』、『会津諸街道と奥州道中』、『阿賀川氏』など。現在、会津坂下町、金山町、三島町などで古文書教室の講師として活躍中。
◇参加無料
◇場所 三島町交流センター「山びこ」
◇お問い合わせ:三島町交流センター「山びこ」
〒969-7402 福島県大沼郡三島町大字名入字諏訪ノ上418
TEL 0241-52-2165  FAX 0241-52-2166
【休館日】毎週月曜日、祝日の翌日(月曜が祝日の場合、火・水曜日)
主催 三島町教育委員会 三島町歴史文化基本構想推進委員会

5月11日例会開かれました。

■会津学研究会の例会がありました。5月11日(日)午後1時30分から4時30分まで、三島町名入 交流センター 山びこ。桑原と宮下村の山論(アサ、漆、コウゾ栽培と焼畑)、没後200年となる漆改役川島重英(与五右衛門、会津美里町東尾岐)について。雑誌会津学の最終号の発刊、編集について。6名参加。

山口弥一郎博士が採録した言葉のちから


■明治35年会津生まれの山口弥一郎博士が1955年に東京都文京区指ヶ谷町の富貴書房から出版された『東北民俗誌 会津編』。序にかえてで、「命をけずった採集記録もあり、郷土の未だ文字に表れない基礎資料を、再検討の意味で若干考察したもののあるので、あえて郷土のために捧げてみようと思う、、、、


 現在の大沼郡金山町である「本名村三条民俗誌」のなかに次のような焼畑(カノ)調査での言葉があります。()は私の補注。

  夏、青草を刈ってねせて(熟成させて)、ネセゴエをつくる場合もあり、また時にねせないでカッツキといって、青草を刈ったまま(畑に)入れる場合もあるが、このアオカッツキを入れるとクサが出来過ぎて、穂に力が入らないので、出来るだけネセゴイにした方がよい。 (36ページ)

  カノ(焼畑)には、夏カノと秋カノとあるが、夏カノは土用に刈って、数日して火を入れるもので、ソバを蒔くからソバカノという。
 これに対して秋カノは秋刈っておいて冬を通し、翌春五月頃焼くもので、粟(アワ)を主に作るのでアワカノと呼んでいる。多くは夏カノである。(37ページ)

 カノ(焼畑)の一特色は、火を入れるから虫がつかぬことにあるが、三年ギリ等といって三年も連作すると四年目には肥料が不足し、虫もつき出す。それで前年ジュウネン等をつくり、その刈った後に草を入れて、時には再び火を入れて焼き、ウナイこむことがある。この草を刈り込むことをヨセガリ、焼くことをヨセヤキと呼んでいる。(39ページ)


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ブナの新緑と、からむし畑(青苧畑)。昭和村大岐・高畠。

畑に聴く、カラムシに聴く 五十嵐英盛さん(昭和3年生)


■2014年5月9日(金)小雨。午後3時から80分ほど、篤農家翁に教示をいただきました。
 昭和村大芦の五十嵐英盛(えいせい)さん(昭和3年生まれ)。昨年、先祖の初代大芦村長 五十嵐伊之重(いのじゅう)のことを、いろいろとうかがいました。今年は、カラムシ(青苧)栽培のことなどを聞いています。

   →英盛さん
 佐倉のからむし工芸博物館の吉田有子さんに、畑仕事に忙しい英盛さんとの話をうかがう日時調整をお願いして、吉田さんとともに英盛さんの自宅でお話をうかがいました。
 今年は、雨が降らない、、、、という話からはじまって、5月下旬の「カラムシ焼き」の後の、圃場(畑)への水やりが大切であろう、という話になりました。それは、このような雨水が降らないなかでカラムシの根は水が欲しくて困っている。焼いたその日に、どれだけ畑に水をやれるか?にかかっている。しかし日陰地であれば水をやりすぎれば根腐れする。
 これまでも、このような「春はしゃぎ(乾燥)」の年に、あと1回水を運んでかければよいが、と思っても、疲れてその1回をおろぬいて、うまく発芽が揃わなかったことがある。
 春の雪消えから、天候を見て、畑を見て、今後のことを考えている。
 「その畑に聴(き)いて、ものごと(仕事、作業)をやる」
 「ヒト(他人)に仕事を合わせていたのではだめだ」
 夏になって、隣の人が、カラムシ挽(ひ)き始めたからって、我が家もやっぺとすっからだめ。「ヒト(他人)定規(じょうぎ)」にすっから、うまくいかない。
 「カラムシに、よく聴いて、挽かねえでは だめだ」
 「昔は、村中(むらじゅう、大芦地区)、畑は、ヲとカラムシだけだった
■1973年に発刊された『昭和村の歴史』(福島県昭和村)、98ページには、「漆木(うるしぎ)のない組」という室井康弘先生(田島町史編さん室長)による昭和村の近世文書の紹介があります。
 文政元年(1818)寅九月(あるいは文化3年、1806)に書かれたと思われる文書に、去る未(ひつじ)年のこととして、文化8年(1811)に、「尾岐の漆役人川島与五右衛門が出張され喰丸村にお泊まりになったとき、各村々の三役人が呼ばれて、(漆の)苗木を植え付けぬとは不届き千万とおしかりを受けた(略)。
 このたびもまた催促を受けたが、野尻組(現在の昭和村)は畑の不足なところで、その畑は麻(を)や青苧(からむし)がいっぱいで、これをもって年貢を納めているところがらだから、なにとぞ、漆(うるし)の植え付けによる小前の労費をご容赦願いたい、、、、

 200年前に書かれた文書にある昭和村の畑の様子は、最近まで(昭和30年代まで)、村人の意識にある景観となっています。

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英盛さんが昨年秋に挽いた繊維
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自ら畑で育てた繊維を綯(な)い、作った「ほそびき」
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シタナミ(皮付きで乾燥したもの)を2本交互に編み、端を葦で止めた「すだれ」
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チューリプの絵も描かれた。
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雪を筋に掘って、ビニル被覆して促成栽培した茎立菜(くきたち・な)